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■ 羽積秀明 ■ 今津 甲 ■ 星出智敬 ■ 荒川れいこ ■ 増田勇一 (99.9.13 Upload) |
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夜空に無数の星が瞬いているように、音楽という名の宇宙にも、きらびやかに輝く個性や、今まさに輝く時を待っている無数の個性が存在する。このオムニバス・アルバムは、その無数の星の幾つかがまるで選ばれたかのようにひとつの宇宙に集い、そして数百年に一度の周期で天空に十字を描くように配置される“GRAND CROSS”の今年に、出されるべくして出されたアルバムと言えるかも知れない。 『GRAND CROSS 1999』は、LUNA SEAのギタリストであるSUGIZOが、97年にソロ活動を行なった際に設立したレーベル、CROSSのオムニバス・アルバムである。同レーベルからは、SUGIZO自身のソロをはじめ、土屋昌巳、d-kikuなど、音楽的にも特別な輝きを放つ作品がリリースされているが、今回のオムニバス・アルバムは、CROSSという宇宙を構成するさらに多彩な新星が、初めて聴覚上に“観測された作品”でもある。 太陽系の惑星それぞれに、さまざまな個性があり、その質量も密度も表面温度も違うように、このCROSSレーベルの宇宙に参加したアーティストにもさまざまの個性がある。音楽的な統一感よりもむしろ、センシティヴな先鋭性で音楽を見つめることによってしか生まれない感性上の統一感が、このアルバム全編の引力となっていると言ってもいいだろう。土屋昌巳や元JAPANのメンバー3人のユニットJBKなど充分なキャリアを持つアーティストにとってのそれは、表現力であり、描写力であり、突き詰めれば姿勢そのものであるが、モデルとして知られるANGIE(あんじ)や今年シンガーとしてのデビューを予定されている彩月、そしてbice(ビーチェ)など若い個性にとってのそれは、直感であったり、感受性であったりもする。その意味でこのオムニバスには、音楽という表現に自分を正直に向かい合わせるために必要なあらゆる要素が混在しているとも言える。そして、すべての要素があるからこそ、この作品が宇宙たりえるのである。 レーベルの主宰者SUGIZOも、この点に関して次のように語ってくれた。 「音楽の…形じゃないんだよ。形とか規制概念じゃなくて、どんなタイプの音楽でも、初めて聴いた人がハマれる音楽と言うか…うまくは言えないけど、ただ面白いことをやりたくて、ただ刺激がほしくて、自分自身のオリジナリティーの可能性を追求して音楽をやってるアーティストの集まり…かな。まぁ強いて言えば、俺が好きな音って言うだけでしかない」 確かに、森から見上げた星空のごとき美事なまでの土屋昌巳ワールドに続き、KEVIN DAVYのジャズ・トランペットが空間に炸裂し、Les yeux(レジュ)の女声が天上から舞い落ちる…というふうな頭3曲を聴いただけでも、SUGIZOの言葉を全肯定せざるを得ない。さらには、自主制作のミニ・アルバムから光速レベルで進化を遂げたREDRUMの柔軟かつタイトに響く音像があり、主宰者本人の楽曲は4HEROによるリミックスだったりと、参加アーティスト全員がその音楽宇宙を縦横無尽に膨張させている。 誰の文章か失念してしまったが、こんな言葉を思い出した。「何でもいいから、自分の好きなものをとにかく見つけろ。それをいくらでも掘って掘って掘り下げていけば、しまいには地下水に達する。その地下水というのは、みんなつながっている」。まさにそんなオムニバス作品集なのである。 蛇足だが、グランドクロスとは冒頭にも触れたように、太陽系の星々が縦横に6個ずつ十字架状に並ぶという、数百年周期で起こる天空の現象である。だが今年、1999年のグランドクロスは、それに加え、獅子座と水瓶座が上下に、牡牛座と蠍座が左右に配列されるという一万二千年周期のものすごいグランドクロスなのだそうだ。これは聖書に終末を記した「ヨハネ黙示録第四章」とも合致し、その引力の作用で地球にポール・シフト(北極と南極が入れ替わること)が起きることを心配する人もいるらしい。僕はむしろ、このアルバム『GRAND CROSS 1999』が現在の音楽シーンに、ビジネスとアートのポールシフトを引き起こしてくれたなら、どんなに爽快だろうと、そんな夢想を抱きつつ、このアルバムの音を浴びながら、ふと夜空を見上げると、やはりそこには無数の星が瞬いて見えた…。 羽積秀明(フールズメイト)
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コンピレーション? とりあえず、格好がつく程度、アーティストと楽曲をそろえたアルバムのことを、そう呼ぶのだとしたら、これは「アンチ・コンピレーション」な1枚だろう。CROSSというレーベル名にアンチという意味が含まれているのと同時に。そして、”とりあえず”の対極にある奴等たち、”マレ”や核心”といった要素に満ちている。 だいたい発売日の設定からしてぶちかましてくれている。1999年8月11日といえば太陽系の7つの星が地球を中心に巨大な十字型をつくるという天体の運行上、超まれな瞬間。古来GRAND CROSSと呼ばれてきたその日に、CROSSレーベルのオムニバス、つまりグランドな1品をリリースしてしまうのだから。もちろんこれは宇宙博士・SUGIZOならではの洒落っ気だ。けれども本作を耳にした後では、まさにGRAND CROSSといえる内容を感じてしまう。 たとえば、ここに名を連ねているアーティストたちの現在地は実に多彩だ。ロンドン在住の日本人アーティスト・土屋昌巳、トランペッターのケヴィン・デイヴィー。日本のインディーズとメジャーをまたにかけて活躍中のLes yeux。モデルとして女の子たちのカリスマ的存在のあんじ。一人一人のポジションだけを眺めてみるとそれこそ太陽、水星、金星、木星と同じぐらいに点在している。 その部分だけをとってもエキザイティングだけど、本作にはさらに素晴らしい美点がある。それは、ここに寄せられたすべての音楽があたかも1つのグループから発せられたものであるかのように溶け合っていること。d-kikuのナンバーを9分にも及ぶリミックスに仕上げたキング・オブ・アンビエント、The Orbの電子で原始な空間。SUGIZOの「LUNA」を弦楽四重奏まじるのDrum’n Bass化してみせたUKの気鋭4HERO。日本人ながら見事にヨーロッパのトラッド・ミュージックの気配を昇華してみせた彩月。反対に往年の歌謡曲のムードをDrum’n Bassと融合したREDRUM。そのいずれもが、1本の映画の別の場面といったほどの距離感で共在しているのだ。さらに細かい部分でいえば、あんじのヴォーカルがスーッと伸びて行くとそれが、いつの間にかSUGIZOのギターの音へと変化している奇跡のようなシーンをあった。 ミクロからマクロまで、本作に展開する光量を体験して、太陽系の諸惑星の間が力強く十字型で結ばれてゆく様を想った。同時に、立場や距離を越えて共鳴し合うことが出来るという”音楽の核心”を見た心地がした。たぶんそこが、このアルバムに込めたSUGIZOのメッセージだったに違いない。「やるよな〜 SUGIZO!」、そしてラストの「Le Fou」。同ナンバーへの3回目のアプローチ。ここに本作の核心部分の総集編を聴いて、さらに、さらに彼のことが好きになった。 今津 甲 (ライター)
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本ホームページをご覧になっている人なら旧知の人(笑)、SUGIZOが設立したCROSSレーベルのコンピレーション・アルバムが、僕の手元に到着した。これまでに数回、彼にインタビューをさせてもらっているけれど、雑談部分──つまりインタビュー本文には使えない部分の話でいつも盛り上がってしまう。つまり彼とは聴く音楽の大部分をかなり共有しているので、本アルバムでも、おそらく僕の好きなところを巧みに“突いて”くるだろうと、安心してPLAYボタンを押した。 本コンピは簡単に言って以下の2通りの側面から成立しているアルバムだ。SUGIZOの、アナログ・レコードでいうところのA面の活動。これはもちろんLUNA SEAやポップス・ミュージシャンのプロデュース活動全般にあたるわけだけれども、こちらでみなさんが接している彼の趣味指向が如実に反映されているのは、もちろん分かる。それはつまりLes yeuxのメロディアスさだったり、SATSUKIのアブストラクト・フォーキーだったり、REDRUMのアブストラクト・ロックだったり、ANGIEの摩訶不思議ほんわかポップスだったり、biceのある意味ストレートなロックだったり……。リアルSUGIZOファンにはグサッと突き刺さるSUGIZO節を味わってほしいところ。 そしてSUGIZOのB面の活動。これはもちろんコアなファンのみなさんにはおなじみな、そしてクラブ・ミュージック・ファンからも悪名高い(笑)、彼のソロ活動の部分。彼の好き放題な趣味指向──最初に彼のリミックス作品のメンツを聴いたときはやっぱり悔しい!って思った。本レビューを呼んでいる人にはなじみがないかもしれないけれど、その筋では有名なリミキサーたちをあれだけ巧みに演出するバイタリティに驚いた、みんな。そして妬む(笑)──を思い切り反映した部分では……土屋昌己による、いつもながら、いやいつも以上に叙情感溢れるオープニングやケヴィン・デイヴィーによるジャズをキーワードに、そしてクラブ・ミュージックを媒介に、巧みに織りなすコントラスト。そしてバンド活動の裏方的存在として常にSUGIZOの右腕となっているd-Kikuのトラック――MC U-ZIをフィーチャーした「Synapse」が白眉。この完成度の高さ、みんなに伝わるだろうか――そしていわずもがなJBKなどなど……。 さてここまで書いてきて、ふと困ることというか、疑問に残ることがある。A面サイドからSUGIZOにアプローチしていく人と、B面から彼にアプローチしていく人。彼らはSUGIZOの片面には興味ないかもしれないし、言ってしまえば嫌いかもしれない。それはその人の趣味の違いなのだけれど、僕の感覚から言わせてもらえば、両方からのアプローチが、よりこのコンピを、そしてよりSUGIZOを体験できるってこと。正直サンプル・テープを聴いたときには、かなり疑問視した――女性ボーカルモノとかバンドものとか多くて、いやに売れ線? もうちょっとアンダーグラウンドな香りがしてもいいのでは……。などなどSUGIZO氏にとってみれば謂れのない変な詮索をしたりもしたのです。でもそれは“サンプル・テープ”の段階で、SUGIZOに正直に思ったことを伝えたときにその疑念は氷解。彼は確かニヤっと笑ってこう言ったんだ、“完成した作品を聴いてもらえれば全部つじつまが合いますよ”。そう。もしかしたら片寄ってこのコンピを聴いてる人にはつじつまがあわないかもしれない。でもじっくり、何度も、よ〜く聴いてほしいんだ。おそらくその先にSUGIZOのニヤっと笑った顔が見えてくるだろうから、ね。 GROOVE編集部/星出智敬
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映画のように、小説のように、目には見えないものなのに、音楽は人の心をうつ。音楽のライターをいう仕事をするようになって、音楽の不思議、音楽の力をさらに強く感じるようになった。 今、ここで過去を振り返ってみると音楽が現実の視野を超えたところで見せる情景……ステージの向こう側に見たことのない情景を描いた回数がダントツに多いのはやはり、LUNA SEA。ステージから、言葉をもらったという点でも一番多いのは彼ら。突然、音とリンクする形で飛び込んでくる言葉、これがライヴ・レポートを書く時に、自分にとってはとても重要なものになる。勿論誰もが同じように観ているとは思わないけれど、手紙やメールから推測すると、印象に残ったライヴ・レポートという点でLUNA SEAがダントツなのは確か。私なりの解釈ではあるけれど、LUNA SEAのライヴが文字になり、その文字になったライヴの像が読む人それぞれの心の中で大きく膨らんでいった……その力がとても大きかったんだと思う。 そのバンドでギターを弾いている……なんて冗談はさておき、SUGIZOに対しては音の申し子、音の虫? とにかく音ナシでは生きていけないという印象が強い。例えばピアノでドという音を出してください、と言われたとする。それはどの鍵盤の“ド”なのか?強く叩けばいいのか、長くのばせばいいのか? 優しい感じ? 怒ってる感じ? たったひとつの音でも、表現の方法はたくさんある。SUGIZOの生み出す、奏でる音色はまさにそれなんだと思う。透明な原色に色をつけていくように、ひとつひとつの音に込める想いが凝縮されているから輝いている。だからどんな雑踏の中でも彼のギターの音は耳に飛び込んでくるんだと思う。 そんな音楽を愛してやまない彼だから、作った、作らずにはいられなかったレーベルCROSS。そのコンピレーション・アルバムが『GRAND CROSS 1999』。予備知識なしに、このアルバムを聴いた時に、宇宙で聴く音、宇宙で聴きたい音……と思った。音のない空の果てで、流れてくる音楽が似合う、そんな感じがした。押しつけがましくなく、全て聴き手に委ねている音。名前は知っていたけれど、というアーティストの音……初めて出会うアーティスト達の音が次々と、心の中に出来た空間をゆっくりと回転させていく……そんな幾つもの表情が、このアルバムの中には詰まっているが、ここからもSUGIZOの音に対する探求心と、愛情の深さを感じとることが出来るのではないだろうか? もし、自分だけの音を追求していたならば、音楽に対して枠を作っていたら、きっとこのアルバムは出来なかったはず。好きだからだけではなく、挑戦したい、可能性を無限に広げたい、という彼の意志も明確に伝わってくる。(ちなみにこのアルバムをを聴くと“あぁ、SUGIZOのギターってコレなのよ!”というのを再認識出来ます) 音楽が好きだから、音楽に愛されているからこそ、このアルバムはこの世に誕生した。ここに収められた音楽と出会って欲しいから、ここに集う人々と触れあって欲しいから、この音たちはCDという形になった。SUGIZOの存在、彼の今までやってきたことに魅かれているなら、まず彼の愛している音楽をこのアルバムで感じて欲しいと思う。決して目には見えないけれど、音楽はあなたの心を揺らす、目の前に存在している、ということを感じることが出来るから。私自身、何回か聴いているうちに、このアルバムが100年先、200年先の時の人々の耳に届いたら素敵だな……と、とても強く思った。 荒川れいこ
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「どんな音楽が好きですか?」 ごく単純でありふれたこんな質問に、僕は即答することができない。 好きな音楽をジャンル/カテゴリーの枠組みや、特定の固有名詞で限定することができないからだ。「なあんだ、回りくどい言い方してるけど、要はポリシーがないってことでしょ?」そう解釈されても仕方がないし、反論するつもりも毛頭ない。僕は好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。だけどその境界線は必ずしも太く明快なものではないのだ。ハード・ロックにもパンクにもインダストリアルにもテクノにも好きなものもあれば嫌いなものもある。そして嫌いだったはずのものが、周辺の環境や自分自身の内面的変化によって、ある日突然大好物になることもある。そう、たとえばずっとグロテスクに見えて箸も付けれなかった食べ物が、酒の味を覚えたその時から新鮮な驚きをもたらしてくれることがあるのと同じように。こんなたとえは、少しばかりオヤジ臭すぎるだろうか。 では、なぜ音楽を聴くのか。この問い掛けになら、完全にではないが答えられる気がする。それが100%の目的だとは絶対に言わないが音楽に浸るという行為は、僕自身にとっては現実逃避のための手段のひとつだ。窓の向こうから遠慮なく侵入してくる道路の雑音からも階上から響く見知らぬ人の足音からも、そして間近に迫りくる原稿の締切りからも僕を遠ざけ、隔離してくれるのが音楽だ。その音楽について論ずることが、自分にとっての生活手段になっているというのは何とも滑稽な話だが、ちょっと偉そうに言ってしまえば、だからこそ僕は、今も音楽に、必要以上に分析的な態度で対峙せずに済んでいるのだと思う。 分析/解明するためでなく、浸るために、感じるために音楽を聴く。言い換えればこれは「ファン気質」と同義でもある。ファンは音楽の送り手であり創造主あるアーティストに対し、常に自分勝手な立場でいられる特権を持つ。しかし本来、アーティストはそれと同等、あるいはあるいはそれ以上にワガママで身勝手であるべき存在であるはずだ。アーティストは表現者であり芸術家ではあっても、受け手側のご機嫌ばかりをうかがうサービス業などでは決してない。 しかし勿論、自らの美学を貫くことだけが目的であるならば、自己探求のみを目指すのであれば、その音楽は地上の音楽シーンに表出する必要のないものだ。偉大なる自己満足、それで終わってしまえばいい。「突き詰めたところで言うと、自分の魂の底から出てくる声とか、全身全霊、自分の人生をかけて本当に表現したいこと…それをちゃんとやっていきたい。で、それをエンターテインメントとちゃんと結びつきたい。自己満足で終わるんじゃなくて」 ある夜の取材で、SUGIZOはこんなことを口にした。そして、さらにこう続けた。 「ここに立っていると、“自分の中で完結しちゃいけません”って言われてる気がするんですよ。“ちゃんと伝えなさい!”って。自分が本当に今、思っている大切なことを伝えるためには、1枚でも多く売りたい。1人でも多くの人に知って欲しい。でも前提として自分の中で大切なのは、“知って欲しいから音楽を作る”んじゃなくて“本当にやりたいことをやってるから”それを知って欲しいってこと。それが逆転したら自分じゃない」 人間の言葉の解釈の仕方は、それこそ音楽の感じ方が十人十色であるのと同じように、実にさまざまだが、僕がこの発言を聞いた時に感じたのは、SUGIZOの良い意味でのプロ意識であり、自己の創造物と感性についてのプライドの、並大抵ではない高さだった。責任、と言ってもいいかもしれない。すべてを吐き出す責任。それを伝えるための努力を惜しまない責任。世の中を巻き込もうと画策することを厭わない責任。そうする価値があるだけの作品を完成させる責任。そして最も愛すべき音楽に対し、純粋であろうと努力する責任。そうしたものすべてが、彼という、痛々しいほどまでのストイックな男を突き動かしているのだ。 前置きばかりながくなってしまったが、CROSSはそんな彼が主宰するレーベルであり、『GRAND CROSS 1999』は同レーベル初のコンピレーション・アルバムである。SUGIZOが自らの責任をもって世に出したいと切に願った音の数々が、ここに詰め込まれているというわけである。 ここで「それはどんな音楽なのか」と訊かれると、僕はまたもや困り果ててしまう。土屋昌巳やJBKといった「SUGIZOに影響を与えた世代」から、彼自身が発掘したと言っていいREDЯUM。LUNA SEAファンにはプログラマーとしてのお馴染みのd-kiku。biceやSATSUKI、ANGIE、Les yeuxといった魅惑的でありつつも各々の“歪み”で耳を惹きつける女性たち。トランペット奏者のKEVIN DAVY。そしてSUGIZO自身…。これらの収録アーティストたちに共通項があるとすれば、誰もがSUGIZOと信頼感と敬意で結ばれている点、誰もが感性のどこかでSUGIZOと重なりあっている点、そしてすべての楽曲がSUGIZO個人にとってフェイヴァリット・ソングだという事実だ。 さらに分析やら定義付けやらを試みれば、「世代や国籍、音楽嗜好の壁を超えた、刺激を追い求める貪欲なアーティストたちによる実験精神に溢れた作品集」などど呼ぶこも、勿論できる。ただ、冒頭に記した通り、分析家とは程遠いメンタリティで音楽に接している自分としては、どうもこうした堅苦しい表現が性に合わない。要するに、そんな自分に似合った表現を探すために、ここまで書き連ねてきたようなものだともいえる。 そういえばSUGIZOはあの日の取材で、旅をすることが彼らにとっていかに重要で欠かせないものであるかを力説していた。1人の人間に戻るため。誰も知らない自分に還るため。次へのステップを踏み出すため。そして想像力を豊かにするために。 そうか。言ってみれば僕は「どこかに連れていってくれる音楽」が好きなのだ。現実逃避というと響きのネガティヴさは否めないが、「旅」という言葉の希望と浪漫に満ちた響きはどうだろう。旅をするために、音楽を聴く。どこへ?どこでもいい。誰かの曲じゃないが、ここではない、どこかへ。そこに連れていってくれるパスポートのようなアルバム、それが『GRAND CROSS 1999』なのだ。 最後にひとつだけ忠告を。実際の旅には必ず終わりがあるものだが、音楽が連れていってくれる旅は、なかなか帰りの搭乗券を手渡ししてくれない。『GRAND CROSS』はエンドレスな世界の入口 。迷い込んだが最後、どんなに強く望んでも、帰り道が見つからないことも多々あるので御用心を。 しかしここは、間違っても地獄なんかじゃなく、果てしなく広がるパノラマを持った楽園。抜け出せなくなったところで、何の問題もありはしないのだが。 増田勇一
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